権威と格式の象徴組み織の極み
組織り物の最高位である唐組をモチーフとして、当社独自の技術で創作いたしました。唐組は、六世紀中期に大陸より仏教の伝来と共に移入されました。遣隋使や遣唐使の往来を通じて、我が国の美術・工芸への影響は大きく正倉院宝物の中にも数多く残されています。唐組の一般的な用途としては、敷物や経典の平紐などに使用されていました。平安時代に於いては大宝衣服令より、五位以上の官職には礼服の着用が法制化され即位礼大嘗会・朝賀の大義等における服装が定められました。その後の時代に於いても、官位の印・権威の象徴として、また装飾性の高い物として扱われました。
悠久の神秘的組織りを今に再現
正倉院の宝物の中に組帯、組紐、雑帯が数多く収蔵されています。種類としては、角組と平組に大別され、その用途は、帯、幡の吊緒、服飾・調度の飾りなどに使用されたものとされています。紋様も様々で、技法によって襷(たすき)、山道(ジグザグ文様)、矢羽根などがあります。宝物として正倉院に収蔵されてい組紐の神秘的な紋様をモチーフとして、現代の技術を用い忠実に再現いたしております。
源氏と平家に関わりのある組紐「厳島組」を再現しました
平安時代、平清盛をはじめとする平家一族が、平家一門の繁栄を願い安芸の厳島神社へ奉納したと伝えられる「平家納経」や、源頼朝が京都の朝廷や武官との間で取り交わした直筆の「源頼朝書状」等の巻緒には、独特の組み方をした平紐が使用されておりました。これらの巻緒に使用された組紐は、その使用された由来から、今でも「厳島組」と呼称されております。その独特な、組み方を現在の技術を用い創作いたしました。
聖徳太子ゆかりの組紐を再現
飛鳥奈良時代・7~8世紀頃、時の権力者が行う神事や仏事、延命や追善供養などの行事には幡(はた)という物が使用されていました。幡(はた)は、人体を象った物とされ、頭にあたる幡頭(ばんとう)、胴に相当する幡身(ばんしん)、足となる幡足(ばんそく)で形成されております。この幡には、中国から渡来したと伝えられる由緒ある組み紐が随所に使用されております。その一つ「山形文組紐」をモチーフに、現在の技術を用い創作いたしました。「山形文組紐」は、国宝「聖徳太子二王子像」の太子が、太刀を支える腰紐として用いていた事が描かれております。「山形文組紐」は、現在も法隆寺に国宝として収蔵されております。
百人一首にも詠まれた網代を再現しました
「網」は「あみ」「代」は「代用する」等を意味します。「網代(あじろ)」の名は、魚を捕る為に川に立てた網状の仕掛けに由来しています。
網代は「小倉百人一首」にも詠まれた、奈良時代以前から伝わる伝統的な織り技法の一つです。本来、材料としては木や竹、草などの植物を用い、細く薄く加工して縦横交互に編んだ物の総称です。古くから、敷物のような平面的な物や、籠や笠のような立体的な物まで生活用品に幅広く用いられてきたことから、日本人にとって馴染み深く、親しみの湧く組織り技法です。その「網代」の織り技法を現代の技術で美しく再現いたしました。
千利休も愛した粋な柄を再現
間道(かんとう)とは、縞文様の裂を表す言葉です。文庫屋の間道縞の名付けの元となったもので、もともとは漢道が名前のもとで、語源はいわゆるシルクロードのことを意味しております。代表的な柄として「縦縞」「横縞」「格子縞」があります。安土桃山時代に、千利休をはじめとする有名茶人が名物茶器の仕覆(しふく)に用いるようになり、その茶人達の影響を多くの武将が受けたことから、やがて広く一般庶民へ浸透していったとされる柄です。横縞の段(だん)と共に茶人達の間で粋な柄、潔い柄としてもてはやされた柄を再現いたしました。
つづら織技法を生地にして再現
葛籠(つづら)は、元来、ツヅラフジのつるで編んだ蓋つきの籠の一種の総称です。広くは、竹を使って網代に(縦横に組み合わせて)編んだ四角い衣装箱を指して呼ぶことが一般的になりました。後になって、葛籠(つづら)を作る際に使った組み技法を、織物と取り入れたことから「つづら織り」と呼ぶようになり、装飾品の生地として広く使われるようになっています。当社では、夏用の帯やコート向けの生地として、通気性や発汗性を向上させるため、メッシュ感覚を取り入れあえて透けたように糸を絡ませて織っています。
三軸組織 紋様パターン・カタログ
過去、当社において製織した「三軸組織」の紋様パターンです。紋紙は、当社で製作して所蔵おりますので製織することが可能です。新しい紋様パターンにつきましても、ご要望にあわせデザインから紋紙の製作まで一貫して行うことが可能です。お気軽にご相談ご用命ください。
紋様MON-001-H
紋様MON-002-H
紋様MON-003-O
紋様MON-004-O
紋様SAN-0005-N